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その先に見えるもの 繋がる明日を創造する

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〒986-0856 宮城県石巻市大街道南二丁目9番13号

採用情報東日本大震災 Great East Japan Earthquake

東日本大震災 2011.3.11 あの時、私たちは・・・

 ※閲覧注意 このページ内には震災直後の画像が含まれます。



 震災から10年以上経った今・・・・・・
 
 東日本大震災における被災現場の最前線で、弊社社員は地元建設業者としての誇りを持ち、人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などに率先してあたった記録を残す。

                    
1)前兆?
 大震災発生の三日前、総合防火訓練を行った翌日、平成23年3月9日午後11時45分、三陸沖を震源とする
M7.3の地震が発生した。
 石巻市で震度4、東北地方三陸沿岸に津波注意報も発令。
翌日10日にも午前6時24分同じく三陸沖震源のM6.6の地震があり石巻市で震度4、今から振り返ればこれらは前震と考えられる。


2)3.11 東日本大地震発災
 平成23年3月11日、14時46分、その瞬間、M9.0の巨大地震が市内全域を揺るがせた。
石巻市は、震源地に最も近い場所にあり、その地震を体感した者は、「この世の終わりかと思った」「とにかく尋常じゃなかった」と後述している。
 揺れは縦に横に、長く感じられ、もの凄い地鳴りを響かせ・・・揺れていた時間は約2分間。
14時49分:宮城県沿岸に大津波警報が発表されたが、本社周辺の防災無線は聞き取れず15時25分頃大津波警報が発令さ     れた事を知る。
14時53分:本社事務所から各作業場従業員の安否を確認し、避難するよう指示。
15時00分:本社社員へ退避指示
15時23分:幹部職員以外の避難完了
15時28分:遠藤信義代表取締役(当時)東京出張中に固定電話から通話報告。
15時51分:遠藤光弥及び三浦一行が第1波踏襲を目視し、本社へ避難
15時53分:石巻市大街道南地区に第一波襲来
        
15時54分: 第1波石巻市大街道本社付近で観測

 
      15時55分 第1波 本社襲撃               15時56分 水深20cm

 
       16時00分 水深2.7m                 16時01分  最大水深GL+2.9m

 本社事務所周辺には、近隣の高齢者及び幼児を連れた人々が各々避難していた。
第1波が目視できた時、周辺で逃げ遅れると判断した近隣住民を、「半ば強引に」本社2階へと避難させた。
中には津波が襲来している方角へ走る人もいた。
 本社事務所に避難したのは、津波が到来すると連絡に来た社員2名、本社勤務2名、周辺住民女性数名、小学生数名であった。
 最低気温−3°との戦い
建物の中には居るものの、津波で窓が破壊され階段の頂上付近まで真っ黒い影の水面が上がったり下がったり・・・・・
第13波までは数えていたが・・・・・
海水も冷く、朝まで冷風が尽きることなく吹いていた。

 長い夜・・・・
 あたりからは悲鳴の嵐、上空には哨戒機・ヘリコプターが旋回。しかし、救助にあたっている様子は無い・・・・・
とにかく情報収集(携帯電話のパケット通信とラジオ)で耐えるしかない状態が続いた。

 緊急救助の要請
 午後10時07分、電子メールで大街道(国道398号線)辺りは膝上の水深と言う情報が入った。
 確実に浸水していない地域在住の知人に、所有する簡易ボートでの救助を要請。同地区に住む社員を同行させた。
 午後11時02分、中浦橋付近でボート進水成功の連絡がある。
 ※後日談:救助ボートは最大6名であった。大街道内の進水区域から中浦橋まで、避難民の救助を優先、救助人数は 
  100名を超えた。しかし、大街道から海側の地域へは進入は瓦礫にはばかれ無理であったとのこと。
  3月12日午前3時頃、救助中に乗船過多状況で運航中沈没。

 待望の夜明け
 3月12日午前3時頃から夜明けへの長いカウントダウンを始めた。
一日千秋どころか一刻千秋の思いで、夜明けを待つ。
このころになると会話もなくなり、心身ともに限界が訪れ、寝てはいけないと分かっていても、いつの間にか意識が遠くなり、気付いたときには体が冷え切っていた。
 そして、午前5時空がもよおしました。「空がもよおす」とは、漁師たちの間の言葉で、夜明けという意味だそうです。日の光が外から差し込んだときは思わず小さな歓声が上がりました。まさに明けない夜はないという言葉のとおり、夜が明けた。
 


 脱 出
 夜が明けた後の町の様子は、震災前とは一変していました。
変わり果てた町の道路を相変わらず津波が右往左往し、夜明けの喜び半分、変わり果てた町の姿を見て呆然とする気持ち半分の複雑なものだ。
 夜明けから1時間以上経った3月12日午前5時20分、一緒に避難した小学生男子を肩車し、お母さんと共に社員3名と脱出する事にした。
 首まで冷海水に浸かり、真っ黒な水は容赦なく足元を狂わせる。
 

 側溝の蓋は有るか?無いか?判断できない。踏み外すと一瞬にして姿が見えなくなるほど・・・
 脱出中には残念ながら津波にはのまれたものの無事建物に這い上がったのだが・・・朝には冷たくなっていた人も・・少年には辛い光景、工事用ヘルメットを被らせ「両手でしっかりヘルメット押さえてろ」と指示。
少年の目から地獄絵図を奪う事が精一杯であった。
進水区域から脱出した少年とお母さんは夫の待つ避難所へと移動した。


 私たちには「避難生活という環境」は存在しない
 石巻を守る為の戦いへと・・・
自衛隊はまだ到着せず、警察はパニック、この状況下で人命救助を率先。
建設業だからこそできる機動力(建設機械を使用した瓦礫除去)を発揮。
地元民だから地理にも詳しい。道路がどこか判らなくなった場所も感と記憶で捜索。
この芸当は他地域から来た人間では無理。
被災地では住宅地図はほとんど意味をなさない。
かと言って適当に行えば民間人の財産を破壊することになる(実際訴訟問題になったケースの存在する)。
人命捜査を行う一方で個人の財産も守らなければならない。
生死を分ける発災72時間との勝負の中にも慎重を要する作業となった。
生存者捜索開始後、すぐに被災し仏様になった方々と対面。
誠心誠意の弔いを行った。
警察又は自衛隊へ通報する、引き渡すの繰り返しだった。



 同時進行で
 3月12日午前9時:石巻市役所へ、5階建設部に向かうが2階外部階段で引き止められる。当時の税務課長より、支援物資運搬の協力要請を受ける。
 市内各所(大街道・蛇田地区)の大手流通販売会社からの支援物資(店舗内在庫)を石巻市総合運動公園まで運搬。
弊社社員は、臨職でも構わないので市関係者の同乗をお願いし作業を開始した。
      
蛇田大型ショッピングセンターからの支援物資は、弊社の車両だけで賄いきれないほどの量であった。
総合運動公園に先行入りした自衛隊の隊員に協力要請したが「隊長の指示がなければ動けぬ」と回答。
後に到着した隊長へ直談判。小隊1班を動員して頂いた。支援物資の運搬は順調に終えた。 


 発災2日目
 3月12日午後4時:石巻市門脇字青葉東の工事現場事務所を災害対策本部とした。
     遠藤興業竃{社事務所は進水区域内であり、最大水深2.8m 事務所機能は停止した。

     対策本部長には「鎌田裕崇」 情報機動部長「遠藤光弥」 行政支援連絡部長「千葉和幸」を任命。
      ※遠藤興業鰍ヘ発災時、創業者遠藤信義は東京出張中
       遠藤正樹代表取締役(当時専務取締役)は仙台市内訪問中被災、帰石未確認状況
       BPCを発動し取締役会の中より鎌田が指揮を執った。
       3/12午後7時には家族の安否確認が取れた社員が7名が参画。
       
                     3/19には総員100名を超えた

 発生から72時間を過ぎた頃より自衛隊・警察・消防の活動は、生存者捜索から遺体捜索と切り替わった。
 建設業者は道路啓開作業が中心となった。しかし、被災地で被災者企業が行う道路啓開は一部の企業しか活動できなく、この日は市内業者弊社含めて3社しかいなかった。

 市役所対策本部には、自衛隊が○○線道路開通!と一方が入る。
実際には自衛隊所有の高機動車が1台通れるだけの獣道、しかも国道から民地進入そしてまた国道へとジグザグ道。
これでは支援物資のトラックも通れない。
弊社の重機部隊は、自衛隊の後方支援に回ることを市役所に告げ、本格的な道路啓開作業を開始した。

      
                     石巻市南浜地域 3/12
                     石巻市立町大通り・住吉地区  3/15
 
                     石巻市不動町・八幡町付近  3/16

 
                     石巻市湊付近       3/18
       

東日本大地震、発災から1週間の活動

 道路啓開
  石巻工業港曽波神線 中浦橋より国道398号線
            (大街道・山下・穀町・立町・住吉・元倉・不動町・八幡町・湊・大門崎・湊鹿妻)
  大街道南・東地区、築山地区(市街地)

 人命捜索
  石巻市南浜地区、雲雀野海岸、上・下釜地区
  陸上自衛隊支援(自衛隊重機へのオペレーター派遣)南浜・門脇地区

 油脂燃料確保備蓄(石巻市使用・油脂燃料保管業務)
  秋田県湯沢より搬送(民間支援)
  国土交通省排水ポンプ車補給残油の受け入れ(毎晩深夜2時〜3時)

 この活動は3月31日まで自主的に行われ、4月1日以降は「宮城県建設業協会 石巻支部災害対策チーム」の一員として貢献した。
  
主な道路啓開
 ●国道398号線(大街道〜渡波)
 ●石巻女川線(川口町〜魚町)
 ●石巻工業港曽波神線(中浦橋〜普誓寺)
 ●女川町内国道398号上の船舶
 ●牡鹿半島 荻浜・小網倉・大原浜・桃浦

 住宅街
 ●大街道南・東
 ●三ツ股
 ●鹿妻南

       







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